おばけなんかない

新卒1年半で仕事を辞めてフリーランスライターを始めたら

新卒1年半で無職になった理由②働くってなんなんだ

こんばんは、ななかばです。昨日、先日岡本太郎の本を読んで無職になった時の状況を書きました。
 

obakenankanai.hateblo.jp



新卒の3年内離職率は、去年の統計で32.3%(大学卒)だそう。そんなに珍しいことでもないのかな。でも、やっぱり「3年は続けないと・・・」みたいな雰囲気はありますね。

今回は私が仕事を続けることができなかった理由をもう少し掘り下げて考えてみました。

 

結局足りなかったのは情熱

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ちょっと旅行して本を読んだくらいで仕事を放り投げるなんて普通ならありえないことです。結果的にそうなったのは、結局、仕事に対する情熱がなかったから。
 
情熱があれば、多少の多忙も耐えられただろうし、平日にわざわざ好き好んでゾンビになる必要なんてなかったんです。
待遇としては恵まれていた方で、職場にもいい人たちが集まっていました。でも、私が入社するときに自分自身にちゃんと向き合って仕事を選ばなかったから、モチベーションが保てなかった。それが一番の原因で、岡本太郎だのいつ死ぬかわからないだのは後付けの理由で、私の背中を押しただけです。

就活が始まった当時、私は自己分析を放り投げていました。
 
あなたは何をしたいか?あなたの得意なことは何か?
そんなもんねーよ!関係ねー!とにかく働くから給料くれ!
 
って感じ(ひどい)。仕事で自分の得意なことをやりたいとか、やりたいことを実現させたいとは思っていませんでした。

内定を最初にもらった会社に就職し、1年目は必死になってやっていました。でも慣れてきたら、言われたことを許されそうなレベルで処理してやり過ごすだけ。会社が私のために費やした費用や時間を考えると、サイテーの社員ですね。

どうして当時はそれでも良いと思っていたんだろう。

仕事とは、そういうものだと思っていました。自分のやりたくないことでも、プロ意識をもってきちんとやる。それが立派な社会人であり、大人なのだろうと考えていました。
 
いつか美輪明宏が言っていた「お給料は、我慢料なのよ」という言葉を覚えています。我慢しなければならないことが多い職業ほど、たくさんの給料をもらえるものだ、という意味。私はその言葉に何の疑問も抱かず、さすが美輪さんだわーくらいにしか思っていませんでした。

でも、私は間違っていました。
 

美輪さんのような人たちの言葉を、本当に表面上でだけ受け取っていました。文字通り受け取って、なんか悟った気になっていた。
彼らの人生哲学が何に裏付けられているのか考えようともせず、自分にもできると思っていたんです。彼らが忍耐強く頑張れたのは、我慢をしてでも成し遂げたいことがあり、ストイックを極めても、やらなくてはならないという思いがあったからなのに。

それとも、私が本当に子供で、世の中の人は情熱ややりがいがなくても割り切って仕事を続けているのでしょうか?
どちらにしても、私が未熟でした。

 

アラフィフでウエイトレスに転職し、仕事を続けている母親

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私の母は、長年医療事務として勤めてきた会社を辞め、49歳の時にゴルフ場のウエイトレスに転職しました。昔から、「なんかカフェとかやりた〜い♡」とか言っていたのですが、まさか本当に転職するとは思っていませんでした。

 地元は田舎なのでサービス業の給料は安い。「ボーナスありって言ってたのに5000円しかもらえなかったわ!」なんて怒っているのを聞くと、ありえない待遇だと思うのに、それでも今も母は仕事を続けています。

 外国人のお客さんが増えてきたから英語を学ぼうとしたり、社内の業務改善標語コンテストに応募して選出されたり、給料が低いのになんでそんなに頑張れるんだろう?と思っていました。

 それは、母が真面目だからとか、人間としてよくできているからとか、そういう個人の資質の問題ではないんだと思います。(娘だから、よくわかる)

 

母は接客が好きで、料理を出して、会話をすることが母の情熱であり喜びだったからです。

 私は、忙殺されている友達や、待遇が悪いのに仕事を続けている母を見て「社畜だな」なんて哀れみながら、自分が仕事に対してちゃんと向き合えないことについて、どこかで恥ずかしいと思っていました。自分は不真面目なダメ人間なんだろう、と思っていました。

でも、それは違った(ダメ人間なところは結構あるけど)。自分の情熱を傾ける対象が仕事じゃなかったからです。

というわけで、自分の情熱を探して、それを仕事にしちまおうと思いました。