おばけなんかない

新卒1年半で仕事を辞めてフリーランスライターを始めたら

新卒1年半で無職になった理由①

はじめまして、ななかばと申します。

先月半ばの木曜日に、私は新卒で入って1年半しか勤めていない仕事をやめ、なけなしの貯金を崩しながら生活を送っています。再就職先は決まっていません。

きちんとブログを始める前に、どうしてこんな行動に出たのか、少し書かせてください。

 

 

平日はゾンビ状態だった自分

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最初に、辞めることを決意した時の私の状態を書きます。


私が新卒で就職した会社は、日本の一般的な中小企業でした(多分。他の企業がどんな風かわからないけれど)。
初めから割とスパルタではあったけれど、1年目を終えて、さらに任される仕事が多くなってきていました。


信頼されているとも受け取れますが、少しオーバーワーク気味でした。といっても、ブラックというほどでもなく常識の範囲内。土日はきちんと休みが取れていました。

仕事が忙しくなるにつれ、当然のように給料も上がりました。

でも、平日の私はまるでゾンビみたいで、仕事への情熱はほとんどゼロ。週末のためだけに生きている状態。

 

たまの連休に、貯め込んだお金で旅行に行ったり、ライブとかフェスに行って遊んだり。

そこでは好きな服を着て、好きな音楽を聴いて、美しい自然の中にいました。

そのときにようやく、「あー私生きてる。マジ生きてる~」って実感して、日常のゾンビっぷりを改めて突き付けられる。

だから、楽しいことや感動することがあるたびに、同時にちょっと絶望していた気がします。

今年のお盆休みに、沖縄旅行に行きました。きれいな海で疲れ果てるまで泳いで、めちゃくちゃ楽しかった。帰ったらまた仕事が待っていると思うと憂鬱でした。

 

f:id:obakenankanai:20161005231737j:plain絵のような海 

 

海をたゆたいながら、ふと、「仕事をやめようかな」という考えが浮かびました。
冷静な自分が「そんなアホな。どうやって生きていくの」と諭したけれど、なぜかすぐに反論が思いつきました。「だっていつ死ぬかわかんないじゃん」

去年あたりから、ヨーロッパのテロのニュースが大きく報じられるようになってきていたことは、記憶に新しいと思います。
私は学生時代ヨーロッパに留学していたこともあって、しかも完璧にソフトターゲットど真ん中だし、被害にあった人たちのことは他人事とは思えませんでした。何を考えながら死んでしまったんだろう、と思うと心が痛い。そして、自分が生きているのも絶対じゃないと思いました。

加えて、4月には故郷の熊本県地震が起こり、ますますその感覚は強くなっていったところでした。今すぐ自分が死んでしまうとしたら、このままでいいのだろうか?そんなことを日常的に考えるようになっていたから、そんな無茶苦茶な反論も思いついたのだと思います。

いつ死ぬかわからないから、仕事を辞める。その思いつきはとても魅惑的で、ありえないし意味わかんないわと思いながらも頭の片隅に残っていました。

岡本太郎の本を読んだ

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この時期に岡本太郎この本を読んだのは、ある種致命的だったかもしれません。(リンク先はアドセンスじゃないので是非チェックしてみてください)
誰かのブログか何かでオススメされているのを見て、何気なくKindleでダウンロードしたもので、そこには、こんな言葉が並んでいました。

 

強烈に生きることは常に死を前提にしている。死という最もきびしい運命と直面して、はじめていのちが奮い立つのだ。死はただ生理的な終焉ではなく、日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。

 

ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。ぼくはその代りに”歓喜”という言葉を使う。危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決するとき、人間は燃え上がる。それは生きがいであり、そのときにわきおこるのがしあわせでなくて”歓喜”なんだ。

 

なにかすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんな力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。現実ではおそらく、うまくいかないことのほうが多いだろう。でも、失敗したらなお面白いと、逆に思って、平気でやってみればいい。とにかく無条件に生きるということを前提として、生きてみることをすすめる。無条件に生きれば人生、生きるということ自体が、新鮮な驚き、よろこび、あたらしく開かれていく一瞬一瞬であり、それは好奇心という浮気っぽいもの以上の感動なんだ。

 

読んだ時、一つ一つがまるで自分に向けられた言葉のように感じて、打ちのめされそうで、今まで生き恥を晒していたとすら思いました。

私は、週末になって思い出したように生きてるーって感じるんじゃなくて、マジ生きてるって思えるようなことを仕事にしなきゃいけなかったんだ、そうやって生きるべきなんだ、と興奮しました。

 

私は旅行が好きです。国内でも、海外でも。

どこか遠いところへ行って、いつもと違うことをするということは、少し危険を伴います。普段よりちょっとリスクを負うし、沖縄で楽しんでいたシュノーケルみたいなマリンスポーツなんて運が悪けりゃ死ぬかもしれません。

 
でも、そのときに私は「生きている」と感じ、その瞬間を普段よりずっと大切に感じていました。
それは、まさに彼が言っていることでした。死を意識するから現在が際立って美しい。

誰もがそうかはわからないけれど、私に限って言えばそうなのだから、もっと自分の人生を生死に賭けないといけない。旅行だのフェスだの、享楽だけが人生の楽しみなんて、そんなことありえない。

感動してハイになった私は、勢いづいて本当に会社をやめてしまいました。